谷川俊太郎さんの詩でも、怖すぎだろ!(しんでくれた)って絵本は

谷川俊太郎の詩の絵本『しんでくれた』って疑問形なの?それとも肯定形なの?
しんでくれた

あまりも衝撃的なタイトルの絵本が発売されている
んです。知ってる人は多分少ないと思います。
その名も、『しんでくれた』です。
それも、作者はあの谷川俊太郎さん。
『しんでくれた』ってちょっと考えてみると疑問形とも、肯定形
ともとれるような、意味深にこちらに訴えかけてきます。

絵本の内容は、さすが谷川俊太郎さん、
本当に読んだ人の心をざっくりとえぐってきます。
いま、絵本というのは多くの人の間の共通認識として小さな子供に読むものという固定観念が強いのではないかと思います。

でも、果たして本当にそうなのでしょうか?
アルフレッドは、これまで多くの絵本を読み進めてきて
あることにきずきました。

絵本を読むという作業というのは、歌を聴く感覚に近い
のかなあ?っと思うのです。J-POPでも、洋楽でも、
ちょっとしたお店に入った瞬間に、なんかいい曲だなあー
あれ、フレーズもなんかいいなあー…
誰しもこんな経験があるのではないかと思います。

本を読むという作業は、全般的にどうしても能動的な作業であるためそこが、音楽をなんとなく聞くとは大きく異なる点なんだと思います。
でも、少し耳と傾けるぐらいの感覚で絵本に近づいてみると、驚くほどいろんなメッセージが詰まっていることを知ることになったりします。

歌詩と同じで、何かいいたいことが作者の中にあり、それが絵本の中に宿り、メッセージとしてこちらに伝わってくるのだと思います。
自分のその時の感情によっては、あまり感じることがなかった
としても、まったく別の機会に、同じ絵本をめくってみると
思いがけない新しい感情が沸き起こってきたりします。

絵本は、とても不思議な存在ですが、時にはわれわれになにがしかのきずきを与えてくれたりします。

『しんでくれた』で命をいただくを考えてみる

今回、ご紹介したい絵本『しんでくれた』は、まさに、
見る時の気分によって、読んでいる側が激しく揺さぶれるタイプの絵本なんだと思います。
悲しい時には、悲しい方面の感情が揺さぶれるだろうし、
嬉しい時に読めば、それはとても積極的に受け止められるのだろうと思います。
冷静な時に読めば、客観的に全体感を見れることもあると思います。

いずれにしても、テーマは生命にとって一番大事な命(いのち)となります。
大人になって、命に向き合う機会、この絵本を見たら
それは、毎日、かかさず訪れているんだということを改めて
感じずにはいられないのだろうと思います。朝、昼、夜と3食を食べる時、谷川俊太郎さんは、いちいちそのことを考えているのではないでしょうか?

『しんでくれた』なのに『死』を使わないのが谷川俊太郎さん流の詩の絵本なのだ

タイトルに「死」という感じを使っていないのに、『しんでくれたら』とタイトルを表現しているところにも谷川さんらしさを感じます。
いいにくいことを、シンプルに目をそらさずに、少し遠回しにやわらかにものを伝える。こういう伝え方って、これからの時代とても大切なことなのかもしれないとアルフレッドは感じました。

最後にちょっと質問… みんなは死についてどのくらいの頻度で考えてるの?

「死」についてどのぐらいの間隔で考える?

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ヒント:毎食、毎食が命をいただいているということなんだと思います。